こんにちは。
今回はなぜ僕が行政書士の多数ある業務の中で入管業務をメインでやろうと考えたのかについて記事にしたいと思います。
今から20年以上も前の出来事です。大学卒業時は就職氷河期だったものの、何とか内定をもらえた大手メーカーに新卒で入社しましたが、早朝から深夜まで働き、さらに休日出勤も次々と命令されるブラックな職場だったため、わずか10か月で退職してしましました。
そして紆余曲折あって、とある人材紹介会社に社内SEとして採用してもらったものの、わずか3日後に営業に飛ばされた(この時点でまたブラック企業ですよね)時の話です。
営業に飛ばされた僕は上司と一緒にある企業に訪問し、紹介してほしい人材の話をヒアリングしていました。
アポを取っていた社長はだいぶ高齢の男性で、約束の時間をとっくに過ぎても会議室に来てくれず、上司と二人で緊張して部屋で待っていたのをよく覚えています。
ヒアリング内容も一方的なもので、人材はおろか金額も折り合いがつきませんでした。そうこうしていると社長はそそくさと部屋を出て行ってしまい、取り残された僕たち2人は仕方ないので帰る準備をして部屋を出ました。
お時間を頂いた御礼を一言伝えようと、工場内をうろうろして社長を探していた時の事です。
製造ラインの約20mぐらい先だったでしょうか。製造ラインは一直線のため、遠くても社長の姿を確認することができました。
でも様子がおかしいです。近くに寄らずにその場で見ていると、どうやら従業員の男性と口論しています。そして口論は次第にヒートアップし、社長が殴る蹴るの暴行にでました。
遠くからではありましたが暴行を受けていたのは、おそらく東南アジア系の若い男性でした。原因は不明ですが、うずくまった男性をあたかもボールを蹴るかのように何度も何度も蹴飛ばす社長の高齢とは思えない姿と怒号、男性が小さくうずくまって、頭だけは守っていた姿をよく覚えています。
腕力でいえば若い男性の方が圧倒的に強いはずです。ですが異国の地で雇用を維持してもらいたいという気持ちもあったのでしょうか。ただただうずくまって我慢しているように見えました。
僕はあまりの迫力と異様な光景が怖くなり、急いでその場を離れました。
あの時の彼のうずくまって、ひたすら耐えている姿が20年以上経った今も鮮明に脳裏に焼け付いており頭から離れません。
勿論、そんな状況を見た後だったのでスタッフを派遣することはせず、その会社ともそれっきりになりました。
それっきりになったということは、彼がその後どうなったのかも、わからないままになりました。
彼はその後どうなったんだろうか。また殴られながらも必死に仕事をしていたのか、祖国にいるであろう家族を思って耐えていたのか、そもそもなぜ日本に来たのか、日本に来てまでこんな仕打ちにあい、日本に対してどんな思いを持つようになってしまったのか。
きっと日本のこと嫌いになったんだろうな…。と答えのない問答がぐるぐる頭の中を回ります。
そして、何もできずにその場から逃げてしまった自分の情けなさと後悔の念がずっと残ったまま20年以上過ぎました。今後も一生忘れることはないでしょう。
「彼のような境遇に合う外国人をなくしたい」「せっかく数ある外国の中から日本を選んで来てくれたのだから、幸せに働いてほしい」「そのお手伝いがしたい」そういった思いから入管業務をやりたいと思いました。
もっと言えば、そういった入管業務ができる人=行政書士だからこそ、行政書士を目指しました。
行政書士になって入管業務ができるようになったところで、彼を救えなかった事実は変わることはなく、贖罪でもなんでもないのですが、もう彼のような境遇に合う人をなくしたいという思いで業務にあたっています。
日本に来る外国人は、ただの人手不足を補うためだけの労働者ではありません。まして単なる駒でもないです。今の日本は彼ら外国人の力なしには日々の生活さえ維持できない状態なのですから。せっかく日本に来てくれたのだから幸せに暮らして欲しい。そのお手伝いの一端を担えればと思っています。
今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。