障害があっても笑顔で走る|保育園で見た心に残るワンシーン

障害福祉

こんにちは。
今回は僕の子供が参加した保育園の運動会で見た光景について書こうと思います。

他の記事でも書きましたが、僕は今までの人生で身内や知り合いに障害を抱えている人がいない人生を歩んできたつもりでした。

ただ、思い返せば自分が小学校時代のクラスにもおられたし、何なら普段の生活で障害を持った方と同じ空間にいたことなんて沢山あるんですよね。でも、自分では「周りにいない」と気づいていない。気づいてないどころか、見て見ぬふりをしていたのかもしれません。

今回僕が記事にしたのは、うちの子が保育園の運動会に参加した時の光景がどうしても忘れられなかったからです。

それではいきましょう。

みんなと楽しむのに障害者も健常者も関係ない

その男の子はうちの子と同じクラスにいましたが、一人にするとどこかに走って行ってしまうような子だったので、その子の傍にだけはマンツーマンで保育園の先生がついていました。

僕は恥ずかしながらうちの子の普段の保育園の生活は聞いているものの、彼の存在はほぼ把握しておらず、何となく少し変わった子がいるというようなことを子供から聞いていた程度だったので、実際彼を見たのはその運動会が初めてでした。

準備体操している時も彼は落ち着きがありませんでしたが、先生がしっかり傍についてサポートしてくれていたので、確かに他の子とは少し違うのかなとは思いましたが、如何せん保育園児なんて先生の話を聞いている事の方が少ないぐらいなので、特に必要以上に気になる存在ではありませんでした。

クラスの演技、といっても単に体育館の端から端まで走っていくだけなのですが、うちの子はじめ、他の子供も一生懸命走って、それはそれは本当に可愛い姿…だったと思いますが、今現在この記事を書いている時に、自分の子がどんな姿で走っていたのか思い出せません。

そして彼の順番になった時、彼は思いっきり全速力で先生と手をつないで走り出したんです。

勿論ゴールの方向何て関係なく全力で走るので先生が軌道修正しながらですが、なんて楽しそうに走るのか。見ていてびっくりしました。順位も何も関係ないんです。本当に楽しそうに走っていました。

見ているこっちが「おぉー」と思うぐらい元気に走っていた光景は今でも忘れられません。自分の子が走っていた姿は忘れているのにです。

何故、彼の楽しそうに走っている光景が忘れられないのか

とにかく全力で走っている姿が清々しかったです。先生もどこか楽しそうに笑いながら走っていたのも覚えています。

楽しかったんでしょうね。おそらく来ていたであろう彼のご両親や多くの親御さんが見ている中で、自分の好きな方向に思いっきり走ることができたことが、ただただ嬉しかった。それだけだと思います。

その純粋な姿が、(言い方が適切ではないかもしれませんが、、)他のお利口に走っていた子供達と違って少し特別に見えたこともあってか、とても鮮明な記憶として残っています。

彼が全力で走ることができたのは先生方や周囲の方のサポートがあってこそ

演技のルールでは体育館の端から端まで走って行って、ゴールで待ち構えている先生に抱き着くのがゴールだったはずです。

ですが彼は付き添いの先生とゴールとは違う方向に走っていき、何とか端までたどり着いて着席しました。文字通り本当に遠回りしてのゴールでしたが、これもすべて付き添いの先生が一緒に走ってくれたおかげであることは誰の目にもわかるものでした。

その日の運動会の間中ずっと付き添いしていましたし、後で子供に聞いてみると普段の保育園の生活でも、ほぼつきっきりで見てくれていたそうです。

そういえばふと思い返してみました。
保育園にはかれこれ10年お世話になっていますが、その間に彼のように少し他の子と違う動きをとるような(先生が常に付き添うような)子は見たことありません。

ですので、当時の彼への対応は保育園側としても決して慣れたものではなかったでしょうし、保育園も人員的に余裕があるわけではなく、大変な調整をしながらの対応だったと思いますが、他の園児と一緒に運動会を楽しむ、ということを怪我や大きなトラブルなく実現してくれた保育園は本当に素晴らしく、ただただ頭が下がります。

まとめ

大人になれば、みんなと同じ行動がとれないと社会生活を送る上で支障がでることは少なくありません。まして会社組織などにいると一定のルールの元で行動しないと組織としての秩序が維持できないなど支障が出るのはある種やむを得ないところもあるでしょう。

ですが、大なり小なりそういったルールを悪気がないけど守ることが出来ない、守ろうと努力しているんだけど、うまく馴染めない人もいますよね。そういった人たちが何かしらの障害を抱えているのかどうかは、僕にはわかりませんが、人には得手不得手は必ずあります。

まだ幼い子供にも得手不得手はありますが、彼らはそんなことは気にしません。なぜなら楽しむことに得手不得手も障害者も健常者も関係ないから。

走ることに純粋に楽しむ姿。とても素敵でした。これぞノーマライゼーションが実現された瞬間ですよね。

そう言えば記事の最後に思い出しました。僕が小学生だったもう数十年前。障害を抱えた子が運動会でクラスの女の子と一緒に手をつなぎながら走っていて、珍しく笑っていました。

大人になって当たり前のように見える光景も、決して当たり前ではなく、色んな人の優しさと彼らの純粋な心から出来ているんだなと改めて思いました。

本当に素晴らしい光景でした。そういった光景が今後も沢山みられるように。微力ながら仕事で貢献していきたいと思います。

今回もとりとめのない話となってしまいました。最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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